自由人と不自由人〜ユダヤ人大富豪の教えから〜
毎月、一回、本田健さんの本で読書会を開催しています。来月は何にしようかなと思っていたら、開業している友達がFacebookに「昔、一度読んだはずなのに、今読むと気付くことが違う。個人事業主になって読み方が深くなったのだと思う」として「ユダヤ人大富豪の教え」をあげていました・
私も7年前にこの本を読んだのですが、その時には「なんでいいのか」分からず、スルー!!
今回、友人の投稿を見て、じゃあ、もう一回読んでみようかなと思い、今月はその本を選びました。
で、どんぴしゃり!!!いい本!!
今の私にはぐいぐい来るではないですか!読書会メンバーも、起業したり起業を考えている人が参加していたので、みんな、以前は響かなかったけど、今回はとても良い本だと思ったと。そこで、今日から三日間、この本について書いていきます。
今回1番衝撃だったのは不自由人として挙げられている会社員の描写!
嫌いなことをやって仕事をしている人は、憂さ晴らしのためにお金をくだらないものに使う。給料を慰謝料と勘違いするからそんな使い方をしてしまうのだ。ローンで車や家や家具。洋服なんかも、何も考えずに買ってしまう。
囚人は給料こそないものの、借金もできないし、お金も使えないので、出所する時は少しとは言え蓄えができているかもしれない。
一方嫌な仕事をやってる人は、どれだけ資産が増えただろう。下手すると借金をしてない分、囚人の方が経済的に恵まれているかもしれないな。(略)
日本のサラリーマンよりはアメリカの囚人のほうがいい生活してるかもしれないな。満員電車で通勤しなくてもいいし、睡眠時間もたっぷりある。おまけに昼ご飯もゆっくり食べていい、残業もない。寝る部屋に鍵がかかってるのさえ気にしなければ、結構いい生活だな
前回、どっぷり職場の仕事にはまっていた私は、ここが「むっ!」としたのか、なんか絵空事に思えて、あまりいい本だと思わなかったのです。
だって、それが当たり前の生活だと思い込んでいたからです。それが不自由だと言われても「大きなお世話」です。
でも、その世界を少しだけでも抜けると、あれ???って違和感に気がつくのです。
この違和感を最大に感じたのは、自粛制限が解除された次の日に、駅から一方向を向かってマスクをしてスーツを着て歩く会社員の大群をみた時です。それこそ、改札口からどわーーーと出て、無言のまま、オフィスビルに向かって黙々と歩く人たち。行軍じゃないかとびっくりしたのです。
あ、ちなみに、これまで、私、満員電車で通勤したことがなく(勤務先が近かったり、または空いた路線だったので)
今回、自転車で通りがかりにその光景を見たので、驚いたのだと思います。
そして、前日までは自粛制限だったので自宅待機、で、解除と共に通勤って。感染リスクはほとんど変わっていないのに。
初めて見た光景が、たまたま自粛制限解除という特殊な日だった・・いつもその環境であれば、気がつかなかったと思います。
こんな記事もありますー
「出勤を再開する人」を増やす日本株式会社の闇 | コロナ後を生き抜く | 東洋経済オンライン | 経済ニュースの新基準
このあと
不自由人は、自ら選んで不自由にしている
親や社会が望むことを小さい頃からやってきたために、自分が好きなことを見つけられないまま、人生を生きてきたのだろう
と、続きます。読書会参加者からは「あ、自分のことだなと思った。そもそも何が好きなことか、もはや分からない」「得意だから、嫌じゃないからと引き受けてきた仕事が、じゃ、好きか?って言われるとそうでもないことに気がついた。長い間、埋もれていると分からなくなる」
そう、あまりに当たり前に日常が過ぎると、そもそも好きなのか、自分がしたいことなのかを意識することさえなく
日々、目の前の、自分が取り組むべき仕事をして、その日が終わります。
日本の教育制度を考えると、そういう、「好きかどうか」でなく「やるべきかどうか」「やらなくてはならない」ことに取り組む生活は
幼少期から始まっていると言えるのではないでしょうか。
そして、その不満を、何かを浪費するか、または日本人の場合は、貯金や投資でお金を貯めることで解消しているのかもしれません。
その状態を、ある友人が言ってました
「お金の奴隷」
ま、こういう話を聞くと、多くの人は「むっ!」とするでしょう。かつての私がそうだったから。
でも、見ないふりして人生を送るのは、どこかで、無意識下で、後悔するのではないかと
ちゃんと見つめた結果、「たとえ、他人から囚人より酷いと言われても、それはその人の価値観であって、自分は今の生活を主体的に選択している。」とは違いますから。